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ガメラ7

コンパクトシティの虚実

 富山の中心商店街といえば総曲輪。アーケード街に店がひしめいていた。ピーク時の地価は坪300万円。高級洋装店ジャンは100坪の土地を、つまり総額3億円でポンと購入して語り草となった。今はどうか。再開発ビルが建って、往時をしのぶものはなにもない。とにかく人が歩いていない。そして今、衝撃的な光景がみんなをたじろがせている。19年末に富山西武跡地に完成した23階建てのプレミストタワー総曲輪はコンパクトシティの象徴ともいえる再開発ビルだが、下4階部分の商業部分にテナントで入居したのは郵便局だけのがらんどうである。商業地域としての価値がゼロだと烙印を押されたということだ。  3月17日この通りで婦人服店を営む旧知の店主にばったり出会い、懐かしい喫茶店チェリオでお茶を飲んだ。時代がすっかり変わったということだね、と一言。かってオーナー店主100人以上いた総曲輪商盛会は10人に激減し、会長の引き受け手がいない。息子が引き受けてやっているが、自店でさえ覚束ないのに、とても未来は語れない。坪100万を提示されたら、みんな売るでしょう。固定資産税を稼ぐのが精一杯というところが多く、空き店舗ではいつまで払い続けるのか、死んでも子供たちが払わなければならないと思うと死ぬに死ねないという現実。あきらめの表情で乾いた嘆きが続く。

「カネがこの商店街を殺したといっていいでしょう」。72年の総曲輪大火で、その跡地に西武が開店したのが76年、それが始まりだった気がする。家賃収入が加わって、店の収益もあるのだから、不動産と株への投資となるのが当然の成り行き。誠備グループに加わってあっという間に破綻した宝石時計の老舗がきっかけだった。ジャンも金沢出店に、豪壮な自宅新築と緩んだ財布を締めることはできずに行き詰まった。学生カバンで手堅い商いをしていたカバン店は2代目が、少子化対策と称して新展開をしたのが裏目になった。レコードからCDへの転換で何とか生き延びることができた楽器店は、スマホの出現には為す術もなくという感じ。わが洋服店も中高年に絞って郊外店に出店して一時期うまくいったが、しまむらの進出などで続くことはななかったですね。家族だけで何とかしのいでいますが、店をたたむことも考えています。07年に大和富山店が再開発ビル総曲輪フェリオで移転開業したのですが、地方百貨店の苦境は山形の老舗が廃業したように楽観はできません。これが行き詰まると一挙にスラムになるかもしれません。売るに売れず、壊すに壊せない。文字通りの負動産ばかりの総曲輪です。

 ここまで話を聞いての結論である。ここはやはり行政の出番だ。現在まだ進めている再開発ビル構想はすべて中断して、総曲輪と中央通りの店舗住宅トリアージである。今後10年間の固定資産税や管理費をはじき出して、「現状のままでも市場に出せる」「リフォームすれば市場に出せる」「売却が困難なため賃貸などで活用を検討する」「取り壊しが必要」。この選別作業を専門家を集めてやるしかない。何もせずに、手をこまねていれば相続放棄の廃墟が残されるだけである。

 地方都市の惨状はここまで来ている。これも解決策ではない。取り壊しが必要と判断されて、いざ自己資金で数千万円払おうという人は誰もいない。地方創生などの空文句で、地方は動かない。

 追補 「フォルツァ総曲輪」4月18日「ほとり座」で再開。

 これもコンパクトシティ構想の一環。約4500万円を投じて、豪華椅子での92席などでの再出発で、ほとり座を運営するエヴァートが担い、富山市の第三セクター・富山市民プラザが3年間支援する。

 破綻した厳しい状況は変わらない。賑わい創出の掛け声に応える思い付き政策ではないか、という映画サークル関係者に批判が正鵠を得ている。

                          (3月Opinion/文責:甲田克志)


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