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《コラム》沖縄のいま⑺       沖縄戦の記憶がとめる 辺野古埋め立て


名護市、県への意見提出を見送る

 防衛省沖縄防衛局が昨年4月21日に辺野古新基地建設の設計変更申請書を沖縄県へ提出してから、やがて1年になろうとしている。変更申請は、大浦湾側に広がる軟弱地盤の改良工事が必要になったことが理由だ。新型コロナの第1波感染拡大により、玉城デニー知事が県独自の「緊急事態宣言」を出した翌日だった。

 現在、沖縄県は、3月26日を期限として名護市長へ求めた意見書の提出を待っている。一方、名護市では昨年12月定例会に提案された市長の意見書案が、地盤改良工事への意見を伴わないたった3行の不十分なものだったため、否決された。渡具知武豊名護市長は15日の3月定例会で、県へ意見書の提出をしない方針を示している。

埋め立て用土砂を県内調達に変更、しかし・・・

 設計変更申請に伴う「土砂に関する図書」では、埋め立てに必要な土砂(岩ずり、山土、浚渫土砂等)の全量は2,018万㎦となっている。しかし、土砂の採取場所や採取量は明記されていない。防衛局は事前の調査で、宮古島、石垣島を含めて沖縄県内全域から調達可能な土砂の量を4,476万㎦と試算した。そのうちの約71%に当たる3,160万㎦が沖縄島南部の糸満市、八重瀬町となっている。琉球石灰岩の鉱山が分布するこの地は、県が管理する沖縄戦跡国定公園でもある。

 沖縄防衛局の当初の申請時には、沖縄島だけでなく、瀬戸内をはじめ九州各地から埋め立て用土砂を調達することになっていた。今回の変更には二つのことが考えられる。

  沖縄県は2015年、公有水面埋め立て事業による外来生物の侵入防止を目的に、「公有水面埋立事業における埋立用材に係る外来生物の侵入防止に関する条例」(県外土砂規制条例)を制定した。知事は、外来生物が土砂等の埋め立て用材に付着していないかを調査し防除や搬入中止を勧告することができる。この条例制定によって、沖縄県外からの土砂搬入のハードルが高くなった。また、「故郷の土を一粒たりとも辺野古埋め立てに使わせない」とする土砂搬出各地の市民の運動も大きく影響しただろう。

 さらに、沖縄防衛局による埋め立て土砂(岩ずり)購入額の値上げがある。2014年、沖縄防衛局の岩ずり単価は1,870円/㎥だった。ところが2020年3月契約時には4,360円/㎥と2.3倍に上昇している。以前よりも数倍の価格で防衛局(国)が購入してくれるなら、参入業者は増える。防衛局側からは、辺野古新基地反対の民意を分断する効果も期待するだろう。

 現に、今回新たに糸満市の採掘業者が鉱山の開発を申請している。予定地は、戦後住民が遺骨を拾い集め埋葬した「魂魄の塔」に近く、「東京の塔」の裏山だという。書類の形式審査を経て、3月18日県は届け出書類を受理した。今後、原則30日以内に県は判断を示さなければならない。


沖縄戦の激戦地の土を

 沖縄島南部の糸満市や八重瀬町は76年前の沖縄戦で多数の県民や日本軍将兵が命を落とした激戦地だ。戦後になって、家族の遺骨を探したが見つけることができず、思い当たる周辺の石を骨壺に収めている家族も多いという。

 2016年3月に「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」が成立し、厚労省は2024年度までを集中実施期間としている。

 沖縄では以前からボランティアで遺骨収集を続けてきた人々がいる。その一人、ガマフヤー(ガマを掘る人)の具志堅隆松さん(67歳)は「平和を求める沖縄宗教者の会」と共に2月26日、糸満市や八重瀬町など沖縄南部からの土砂採取計画を断念するよう沖縄防衛局へ要請した。「遺骨が混じった、沖縄戦の犠牲者の血が浸み込んだ土を軍事基地建設の埋め立てに使うのは戦没者への冒涜だ」と訴えた。

 琉球石灰岩の鉱山から採取される土砂は、遺骨が混じっていても判明しにくいという。手で持った重さの感覚で遺骨と見分けると具志堅さんは言う。まして機械で採掘したのでは、判明できない。

 沖縄県と県戦没者遺骨収取情報センターは急遽2月24日、糸満市米須の土砂採掘予定地で遺骨収集を始めた。「東京の塔」の裏側斜面で数センチの骨片が十数個見つかった。以前に具志堅さんが遺骨を見つけた場所の周辺だという。3月3日には、さらに約10個の骨片が見つかった。

ついに、ハンガーストライキで訴える

 3月1日から6日まで沖縄県庁前広場で、具志堅隆松さんや宗教者らがハンガーストライキで訴えた。ハンスト決行中と大書した筵旗の横に白地の看板に要求事項が大書された。


◆要求項目

  • 沖縄防衛局による南部の土砂採取計画の断念

  • 沖縄県知事は自然公園法33条2項による砕石事業中止命令を発令すること

                 ガマフヤー


 初日から多くの県民が激励に訪れ、特に、高齢の沖縄戦体験者らの姿が目立った。署名も集められた。具志堅さんは疲れも見せず、一人一人に丁寧に応対し、メディアの質問に答えていた。「防衛省の土砂採取は、厚労省の遺骨収集推進法に反する行為であり、人道上の問題だ」と訴え続けた。3日には、県議会に陳情書も提出した。

 4日、外国人特派員協会がWEBで記者会見を催した際、具志堅さんは、米陸軍の資料から沖縄戦で239人の米兵が行方不明になっていることや、朝鮮半島出身の犠牲者もいると語り、「単に日本だけの問題ではなく、米国も当事者だ」と訴えた。韓国から連帯のメッセージも届いた。

 そして、最終日の6日(土)午前、玉城知事が私服で座り込み現場に現れ、具志堅さんと懇談した。知事は「『人道的にやっちゃいけない』ということが、いかにして法律的につながるか。一生懸命探している」と語ったという。ちょうど県庁広場での署名に訪れていた11歳の少女が知事に直談判する場面もあった。

 同じころ北部訓練場第1ゲート前では、返還された北部訓練場跡地に残存する米軍の銃弾や遺棄物を再再発見しているチョウ類研究家の宮城秋乃さんが「那覇でハンストをしている県民がいることを米兵に知らせたい」と自らハンストで訴えていた。

 首相官邸前では、宜野湾市出身の金武美加代さんが沖縄本島全域からの土砂採取計画に抗議して、8日からハンストを続けていると17日の地元紙が報じた。ニューヨークや東京渋谷駅前での応援集会の模様も地元メディアは報じた。

 「辺野古」県民投票の会の元代表の元山仁士郎さんをはじめ若い人たちが、「具志堅隆松さんのハンガーストライキに応答する若者 緊急ステートメント」をウェブ発信し、HPで賛同者を集めている。志を同じくする活動が広がっている。

 軌を一にして、2月末から3月初めにかけて、第24師団歩兵第32連隊第1大隊が使用していた糸満市の陣地壕で8体の遺骨がほぼ完全な形で発見された。2体は子どもの遺骨とみられる。発見したのは元全国紙の記者で青森県在住の写真家とその妻。約20年間沖縄に通い遺骨収集を続けているという。また、2月下旬、「沖縄蟻の会」のメンバーが、糸満市与座の第24師団司令部壕で2人分の遺骨を発見した。

 3月10日、自民党県連と公明党県本部の代表が、沖縄防衛局を訪ね、県民感情への配慮を求める要請書を手渡した。「辺野古」への賛否と関係なく県民共通の心情として、沖縄戦の遺骨の残る土を辺野古の埋め立てに使うことは許されない。

 「沖縄戦は終わっていない」、67年間土の中にあった遺骨が叫んでいるように思われる。

       (3月のオピニオン/文責:小原悦子)


(写真の説明)ブログ「チョイさんの沖縄日記」2021年3月3日より。県庁前広場で訴える具志堅隆松さん(中央奥)


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