top of page

「発令」された緊急事態宣言   ~戦争表現の行き着く先~ 

更新日:2020年5月16日

 4月25日の朝刊に「県公報臨時号」が入っていた。「緊急事態宣言 発令」と赤に白抜きの大活字、裏面(4頁)には、「緊急事態宣言発令 県民こころをひとつに。おうちにいましょう」。富山市の広報は、「危機はあなたのすぐそばまで来ている。STOP!新型コロナ」。感染を防ごうという意味と思われるが、脅しのようだ。

 ドイツのメルケル首相やニュージーランドのアーダーン首相などは国民との信頼関係を構築し、コロナ感染を克服しようと呼びかけた。それを聴いていたので、法律用語とはいえ、上から目線の「発令」に違和感があった。もともと多くの日本人は、お上は間違ったことをしないと思っているし、特に富山県民はお上に柔順だ。知人の民間デイサービスに行ったら、県公報が貼ってある。理由を聞いたら、「県の命令だと言えば、みんな手洗いやマスクをするがんよ」と。それでも、情報開示と住民の協力で、「県民のみなさんといっしょにコロナ感染危機をのりこえたい」「多様な住民が協力して暮らしを守ろう」とは言えないのか。残念だが、これが今の富山なのだろう。

 話は変る。この間「コロナ禍と戦う」など、戦争に例える表現が多用されている。戦時なのだから、緊急事態なのだから、民主主義や自由が制限されても仕方ないと思わされてはいまいか。どのメディアも国難を多用する。曰く、「襲い掛かる国難」(北日本新聞2020.5.4)。安倍首相が「国難突破解散」と使ったことから政治的意味合いを帯び、国難だから手続きを踏まないで首相一存で決めてもいい、政府は間違ったことをしない、批判するなといった空気がある。戦前、盧溝橋事件をきっかけに、政府の「挙国一致」「国家総動員」の要請を批判することなく、メディアが協力、戦争に突き進んでいったことを思い出す。

 ポスト・コロナも怖い。すでに「戦略を立て、戦術を組み立てる」といった戦争用語が使われる。第2波、経済回復、五輪開催など、「一丸となって」協力するように市民は攻め立てられそうだ。メディアには、政府・県の広報担当よろしく復興政策を垂れ流さないように願いたい。

 コロナ感染が収まらないなか、日々「緊急事態」が連呼され、5月3日憲法記念日に首相は緊急事態対応をめぐる憲法改正論議の前進を訴えた。メディアには、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」と、戦争や災害など国家の平和と存立を脅かす緊急事態に際しての憲法の「緊急事態条項」(国家緊急権)を混同しないように、両者の違いをわかりやすく伝える役割がある。    

                    (5月Opinion 文責:堀江節子)

追伸

 格差社会にあって、コロナ感染拡大によって弱者がより追い込まれている事実を報道すべきだ。

 さいたま市は3月に保育園・幼稚園職員にマスクを配ったが、その際朝鮮学校幼稚部は対象外となった。新聞報道でこれを知り、多くの人が抗議、結局は幼稚部にも配られた。また、新型コロナウイルス感染症による小学校休業等対応助成金から風俗業が除外されたが、これも女性たちが声をあげ、国会議員にも働きかけて撤回された。報道は、批判の声を拾うことで、公正な社会を作るという役割を担うことができる。






閲覧数:7回0件のコメント
bottom of page